桃山時代から江戸時代へと移るに従い、書院造は茶道の発展によって茶室の工夫や手段を取り入れた数寄屋風の書院造になっていきました。
茶室建築から畳はやがて町人の家に引き継がれていきます。
江戸時代になってから「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」という役職が作られるほど、畳は武家、特に将軍や大名にとっては重要なものになりました 。
畳が一般のものとなったのは、江戸中期以降のことであり、農村においてはさらに遅く明治時代になってからでした。
江戸時代の長屋では、畳は長屋を借りる店子が運び込んで使ったといわれており、大家が用意しておくものではありませんでした。
それだけに畳の手入れをして長持ちさせる知恵を身につけていったのです。
それまで、い草は、自然のものを用いたり、小規模に作られてはいましたが、岡山や広島などで本格的に栽培が始まり、江戸時代後半には畳職人という職業も確立されて庶民の住まいにも徐々に使用されていました。
畳の規制(柄など)が解かれて、一般社会に広く普及するのは、明治維新後になります。
畳干しをこまめにして、傷むのを防ぎ、表がやけたら裏返えしをして使うというこうした習慣は今でも続いています。
経済の高度成長とともに生活様式も洋風化し、座る生活から椅子の生活に変わり、絨毯(じゅうたん)などが 普及し始めましたが、住まいは畳の部屋が基本でした。
板張り(フローリング)が、価格の安さと品質の安定と共に普及してきました。 和室の設計には障子などの付属物が必要となり、住宅価格のコストダウン化のため畳の部屋づくりが見送られることが多くなりました。
しかし、フローリングの不便さ(防音、断熱、くつろぎ感が不十分)も認識されて、畳の必要性を見直す動きもあり、フローリングに敷いて使用する「置き畳」など畳の新製品が普及しつつあります。
最近では、畳の素材も昔の藺草(いぐさ)とワラだけでなく、さまざまな新しい 化学素材などが開発されて使われるようになりました。機能性も高く、多様化した消費者ニーズに対応できるようになってきています。(洗える畳、カラー畳、ヒノキの畳など)
畳敷きは「子どもの学習効果に有効」との研究が、北九州市立大の森田洋准教授(生物資源工学)の研究で発表されました。(2008年2月6日)
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